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なぜ「行政」か
「卵と壁」、壁の側から見えるモノ

国税庁課税部審理室室付実査官兼法務省訟務局租税訟務課(本稿執筆当時)
大西篤史

大西篤史 国税庁課税部審理室室付実査官兼法務省訟務局租税訟務課(本稿執筆当時)
1982年生まれ。専修大学法学部法律学科卒、中央大学法科大学院修了。国税庁長官官房企画課、同課税部審理室訴訟第一係、豊橋税務署個人課税部門国税調査官を経て、現職(当時)。

はじめに

 私が、まだ国税庁の内定者の頃、ある予備校で、弁護士と合同で講演をしました。私の前に話した弁護士が、仕事のやりがいとして、「依頼人から『ありがとう』と言われると、どんな苦労も報われる。」と話すのを聞いて、考え込んでしまいました。「私の仕事は『ありがとう』なんて言われるのだろうか」。

波乱の幕開け

 私は、「社会でそのまま使える学問」を学ぼうと、法学部へ進学し、どうせやるなら司法試験合格だと思い、受験勉強を開始しました。「在学中に受かるな」。当初の甘い目論見は見事に外れ、「続ければすぐ受かるはず」との、これまた甘い目論見により、司法試験浪人に突入しました。居酒屋でバイトをしながらの受験勉強も実らなかったため、一から鍛え直すために法科大学院への進学を決めました。法科大学院では、試験科目の理解を深めることはもちろん、せっかく進学したので、ここでしかできない勉強をしようと思い実践しました。例えば、オランダやドイツの大学で研修を受けたり、著名な教授のゼミを受けたり、研究論文を執筆したり。この取組みの中の一つが、下記に述べる内閣府での研修でした。

価値の模索 法解釈論と行政

 法科大学院進学時までの進路の希望は、いわゆる「町弁」でした。幅広い業務が経験できると思ったことと、紛争解決により人々の幸せを守っていければと思ったのが、理由でした。ところが、進路希望も紆余曲折を経て、最後は行政へ。この決断の背景には、こんな経験がありました。
 法科大学院在学中、内閣府で消費者の救済制度を扱う部署(現在は消費者庁にあります)で研修する機会がありました。志望理由は、「名前が迫力あるし、これを逃すと一生入れない場所だろう」。浮ついた理由で挑んだ研修で私が与えられた仕事が、「不特定・多数に被害が及ぶ消費者被害が起こった際、現行法上、被害者が損害賠償請求をしないと、悪いことをした者の手元に利益が残ってしまう。これを吐き出させるための制度を作ろうと思うが、どんなものが考えられ、それは既存の判例・学説と抵触するかどうかを、調べてほしい。」というものでした。この原稿を読んで下さっている方の中にも、「解釈でできなければ必要なものを何でも立法すればいい」と思っている方がいるのではないでしょうか。私はそう思っていました。が、実際は違います。例えるなら、現在の社会は、多数の法律に加え、判例や学説が歯車のように噛み合って回っています。そこに、新制度という新しい歯車を作ってはめる際には、今ある歯車の動きを邪魔しないことが大前提です。そのため、企画立案担当者は、既存の法律では解決が不可能または困難な問題であることと、新制度が既存の判例・学説と矛盾抵触しないことを、徹底的に分析します。このような形でこれまで学んできた法解釈論が用いられていることに知的好奇心が刺激されたことと、新制度の企画立案を通じて潜在的な紛争までも解決できるという行政のダイナミックさに魅力を感じて、霞が関への就職を考えました。

職業としての行政 積み重ねた経験と思い出、問題意識

 国税庁に入庁してから、様々な業務を経験しましたが、一番長く担当したのが、訴訟事務です。国税に関する訴訟が提起された場合、法務省が国の代理をしますが、担当行政庁として国税当局も加わり、二人三脚で訴訟追行をすることになります。私は、以前は国税庁側で、そして今は法務省側で、訴訟事務を担当しています。具体的には、現場の訴訟担当者からの訴訟遂行方針、法解釈、証拠収集等に関する照会に対して指導等を行うとともに、これらについて国税庁と法務省の協議を行ったりしています。仕事中は、税法だけでなく、民法や民事訴訟法等に関する様々な議論が飛び交います。学生時代は、「ここまで議論が成熟しているのだから、未知の論点なんてないのではないか」と思っていましたが、新技術の発達や社会の変化によって新しい問題がいくつも出てきます。その対応を、これまでの判例や学説を踏まえて議論していく。事務仕事をこなしつつも、有益な意見を出してやろうと、新論点のことでいつも頭がいっぱいです。
 税務訴訟に関する喫緊の課題は、租税回避への対応です。租税回避とは、私的経済取引の見地からは合理的理由がないのに、通常用いられない法形式を選択することで、意図した経済的目的を達成しつつ税負担の軽減を図ることです。租税回避は、法律家だけでなく金融や税務、会計の専門家が関与し、複雑な取引が使われます。最近では、組織再編成を利用して他の法人の損失を受け入れることにより税負担の圧縮を図ることが問題となったものや、各国の税制の差異や租税条約の規律を利用するなどして日本でも外国でも税負担を免れることが問題となったものがあります。このような事案は全体像の解明に困難を極め、さらにこれを崩すとなると、要する労力は膨大なものになります。それにもかかわらず、私たちが租税回避に挑むのは、税負担の公平性を守るためです。ほとんどの人が、額の大小にかかわらず、身銭を切って税金を納めてくれているのに、租税回避をした者はその負担を免れるというのは不公平です。ここに私たちが譲れない一線があります。
 訴訟事務を担当して最近特に痛感することは、理論的な整理の必要性です。これまでの実務上の取扱いは、前例踏襲を理由にしても、裁判所をはじめ他者の理解は得られません。実務上の取扱いと現行法を理論的につなげることができて、はじめて説得力が生じる。実務上の取扱いと理論との接合をするにあたっては、これまでの判例や学説のみならず、他の法分野の議論が参考になるかもしれません。ある法律についての議論を他の法律についての議論に援用することができるかが、今の関心事の一つです。
 国税庁にいなければできなかった仕事として、現場の調査官の経験が挙げられます。これは、直接、納税者のもとに赴き、帳簿や請求書などの資料を突き合わせるなどをして、申告内容が正確かを調べることです。納税者の理解を得るにあたっては、税法をはじめ民法や行政法といった法律学に加え会計学の専門知識は当然要求されますし、それだけではなく、幅広い経験や教養を含めた全人格が問われます。困難な事案であるほど、終わった時の感慨もひとしおでした。他には、ある国際会議の運営に携わったことも、苦労した分よい思い出です。

むすびにかえて なぜ「行政」か

 最後に、冒頭の問いに戻ります。依頼人から「ありがとう」と言われるか。私たちの「依頼人」にあたる人は、納税者です。その納税者から「ありがとう。」…ないです。一度も。そもそも、「私から税金とってくれてありがとう。」なんて言う人はいません。村上春樹のイスラエル賞受賞式典スピーチ「卵と壁」でいうと、私たちは紛れもなく「高く硬い『壁』」であり、時には、弱い者いじめのように扱われる存在です。にもかかわらず、なぜ、この仕事を選び、続けていきたいと思うか。それは、「この国をもっと良い国にしたい」からです。これは、すべての官公庁の共通する理念であると思います。目の前の問題に対して明日からどう運営していくかが問われ徹底的なリアリズムが支配する中で、熱い思いをたぎらせ冷静な頭脳を駆使して理想の行政の姿を模索していく。法律学は、私たちに、理想を現実に変える力を与えてくれると思います。

法を勉強したのはどこですか?
 法学部入学に始まり、現在まで勉強中です。
いちばん使っている法律は何ですか?
 租税法です。他も適宜手広く。
いま気になっている法律はありますか?
 国際法です。仕事で時々顔を出すので。
仕事は楽しいですか?
 知的好奇心が刺激され、たぎります。
法とは何でしょうか?
 喉を潤わせることも激しく撃つこともできるもの。

(法学セミナー2015年6月号6-7頁に掲載したものを転載)

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