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法科大学院で学ぶこと、弁護士として生きることの魅力
~亀石倫子弁護士に聞く~

亀石倫子弁護士
聞き手:堀江慎司(京都大学法科大学院教授)
インタビュー日付:2017年10月26日

 

堀江 本日はお忙しいところをありがとうございます。京都大学法科大学院で刑事訴訟法を担当しております堀江慎司と申します。法科大学院協会で常務委員もしております。よろしくお願いします。
亀石 よろしくお願いします。
堀江 亀石さんは法科大学院のご出身で、法科大学院教育を受けて、現在は弁護士として活躍されていますが、そのご経験を踏まえて、法科大学院の教育はどういうもので、また、法律家の仕事はどういう魅力があるのか、ということを今日はお話しいただきたいと思っています。ご経歴の順序に沿ってうかがっていこうと思います。

東京での大学時代~新聞記者を目指す ~地元北海道での会社員時代

アメリカ文学を学んだ大学時代

堀江 はじめに、法科大学院に入学されるまでのことについてお聞きします。亀石さんは、大学は法学部以外の学部出身で、ご卒業後は民間企業で働いておられたとうかがいました。当時、どのような勉強をして、また、どのようなお仕事をなさっていたのでしょうか。
亀石 私は北海道出身で、高校卒業までは北海道で暮らしていました。その後、東京女子大学の文理学部英米文学科に入学しました。大学に入るときには、将来何になりたいかをあまり深く考えずに、関心のある勉強をしたいというだけでした。英米文学科を選んだ理由は、英語が好きだったことと、昔から本を読むのが好きで、文学を勉強したいと思ったためです。
 英米文学科の中でもアメリカ文学を専攻して、卒業論文はレイモンド・カーヴァーを扱いました。レイモンド・カーヴァーは主に短篇作品を書いているアメリカの作家ですが、何というのか、救いようのない日常を切り取ったような話が多いのが特徴です。どこの国や街にでもあるような風景とか、そこに住んでいる人たちとか。たとえば、アルコール中毒だったり破産寸前だったり、何か家庭に問題を抱えている人たちの日常を切り取ったような作品が多いんです。一見救いようのない話ですが、そのなかで何を描こうとしているのか、ということをテーマに勉強していました。

社会に関わる仕事がしたいと思い、新聞記者を目指したが……

亀石 大学時代は、将来、何か社会に関わるような仕事をしたいと思い、一時期、新聞記者になりたいと考えていました。文章を書くのが好きでしたし、社会に関わって真実を追究することにも関心がありました。そこで、新聞社を受験するための予備校にも通いました。新聞社の入社試験には、論文試験、作文試験、一般教養的な試験などがあります。時事問題をテーマに論文を書き、それを何人かでディスカッションしたりということを、大学3年生のときにやっていました。そうしていくつか新聞社を受験して、筆記試験に通ったところもありました。しかし、面接のときに「新聞記者というのは地を這うような仕事だけど、君にはできますか?」と質問され、そのときはちょっと怖気づいてしまい、「できます!」とは言えませんでした。それがいわゆる圧迫面接だったのかどうかはわかりませんが、とにかく怖気づいてしまって、結局、新聞社に入ることはできませんでした。あと、東京がとても都会すぎて、ここでこれから一生、生きていくという覚悟もありませんでした。それで、いったん内定をくれた会社で働いてみようというくらいの気持ちで、あまり深く考えずに、北海道にある会社に入社しました。

会社での仕事はおもしろかったけれど、大きな組織に馴染めなかった

亀石 当時は「iモード」が始まった時期で、携帯電話の契約者数が年々倍増していた時でした。入社した会社では、iモードのコンテンツの開発や、広告宣伝、マーケティングなどの仕事をしていました。
 そういうことをしながら、仕事っておもしろいなと思ったし、自分は働くのがすごく好きだなと思っていたのですが、大きな会社や組織の中に馴染めない感じもありました。私の父は自営業でしたし、父の兄弟はじめ自分の住んでいる街にいた親戚とかで会社員をやっている人はいませんでした。美容院を経営していたり、ご飯屋さんを営んでいたり、私の周りの人たちはみんな自分で経営していたので、子どものときから会社員というものが身近ではなく、もともと自分が会社員をやっているイメージがあまり思い描けていなかったせいもあったのだと思います。それに、私は疑問に思ったり納得できないことをそのままにできず、上司であろうと誰であろうと、すぐ口に出してしまうところがありました。あと、たとえば、女性社員にだけ制服がありましたが、それを着るのが嫌だったりもしました。そのように、協調性があまりなく、組織で働くのが性に合わないなと思いつつ、ほかに何かやりたいこともなかったので、悩みながらもその会社に3年半勤めました。
 その後、2000年に結婚することになり、相手が大阪在住だったので、会社を辞めて北海道を離れることにしました。縁もゆかりもない大阪で暮らすという、かなり大きな変化でしたが、それが私の人生の転機となりました。

大阪への移住~法律家を目指す~旧司法試験の受験と挫折

これからの人生を考えるなかで、直感的に「これだ!」と思い、
社会と関わることができる仕事=弁護士を目指した

堀江 大阪に移住された後に、法律家を目指したということですね。大学生の頃から社会に関わる仕事に関心をお持ちだったということでしたが、社会に関わる仕事がいろいろある中で、とくに法律家を目指した、またその中でも弁護士を志した動機やきっかけを聞かせてください。
亀石 よく考えたうえで弁護士を目指したというよりも、直感的に決めました。結婚して大阪に来て、私はこれからどうしようかと思い悩んでいました。弁護士を目指した理由の1つには、やはり私は大きな組織で働くことに馴染めないので、資格や技術を身につけて、会社に所属しなくても働ける仕事をしようという思いがありました。必ずしも勉強して資格を獲得するという方向だけではなくて、技術を身につけることでもよいと思っていました。それくらいフラットに、私はこれから、いったんリセットした人生をどうやって生きていこうかと考えていたんです。そう考えながら、いろいろな本を読んだり、街をさまよい歩いていたときに、司法試験のパンフレットをたまたま見て、直感的に「これだ!」と思ったんです。
堀江 直感なんですね。
亀石 「これだ!」と思ったのは、社会と関わりたいという思いが元々大学生の時からあり、それが叶う仕事だというのと、どんな資格でも簡単に取れるものは簡単に使えなくなるというか、簡単に取れた後が大変だと思いましたし、とくに組織に所属せずに一人でやっていこうと思えば、簡単に取れる資格は役に立たないと感じたということもありました。仕事を辞めた私には時間だけはたっぷりありましたので、残りの人生をかけるにふさわしい難しい試験に挑戦しよう、ハードルが高ければ高いほど自分のこれからの人生を変えていくのに良いだろうと思って、司法試験の勉強をしようと決めました。
 実は司法試験を受けると決めたときに、試験に合格したら裁判官や検察官にもなれる可能性があるということもあまり知らなくて、司法試験に受かったら弁護士になるとしか思っていなかったんです。だから、よく考えたうえで弁護士というわけではなく、最初から「司法試験=弁護士」だと思っていたという程度でした。それくらい自分にとって法律とか法律家というのは身近なものではなかったのです。

孤独に勉強することに行き詰まってしまった、旧司法試験の受験勉強

亀石 2000年の末に大阪に来て、悩んでいた時期は2、3ヶ月くらいだったと思います。2001年の4月には司法試験の受験予備校の基礎講座を受け始めていました。
堀江 その頃はまだ法科大学院制度ができていませんので、いわゆる旧司法試験を目指してということですね。受験予備校には通信や通学などいろいろな受講形式があると思いますが、亀石さんはどこかの予備校に通って勉強されたのですか。
亀石 それが、私は本当に考えが甘くて、最初は通信で講座を受けていました。通信の方が自分の好きなときに好きな場所で勉強できると思いまして。最初はDVDなどで講座を聴きながら勉強するかたちで始めました。しかし、今思えばそうしたやり方は本当に失敗だったと思っています。とにかく孤独すぎました。大阪という誰も知り合いのいないところで、まったく知らない分野の勉強を始めたので、誰にも相談することができないし聞くこともできないというなかで、家に籠もって勉強するのは本当に孤独で、すぐに挫折してしまいました。それで、このままだと勉強を続けること自体できないと感じ、早い段階で通信から通学に切り替えて勉強し始めました。
 予備校に通い始めてから、同じ目標に向かって勉強している人たちの姿をはじめて見ました。どれだけみんなが必死で長い時間勉強しているのかを目にして、私は考えがあまりにも甘かったなと痛感しました。その後、私も、予備校の自習室に通い、授業のない日も予備校の自習室で勉強するようになりました。

法的なものの考え方を身につけるため、学問としての法律を学ぶため、
法科大学院に入ろうと考えた

堀江 その後、2004年に法科大学院の制度ができて、亀石さんも入学されたわけですが、法科大学院に行こうと思われたのはどういう理由からですか。
亀石 旧司法試験の論文試験に落ちたことが直接の理由でした。勉強を始めてから毎日長い時間必死に勉強して、短答式試験に合格できるレベルまでには知識を詰め込むことができました。それで、2003年の旧司法試験短答式試験には合格しましたが、論文試験にはまったく太刀打ちできませんでした。当時は予備校のテキストを使って表面的な勉強しかしていなかったので、ほとんど暗記という感じで、法的なものの考え方はまったく身についていませんでした。だから論文試験は不合格でしたし、成績もとても悪かったんです。予備校に通って他の受験生がいる場所で勉強を始めたものの、コミュニケーションはまったくとっておらず、みんなで一緒に勉強するとかディスカッションするとかはありませんでした。中には、答案を書いてお互いに見せ合ったりしていた人たちもいたかもしれませんが、私はそういうこともまったくしていなくて、相変わらず孤独に勉強していました。そういうのもあって、初めて旧司法試験を受けたときの出来なさ具合でもう限界を感じ、このまま今まで通りの勉強をしていても一生受からないだろうと思ったんです。とくに、私はこれまで学問としての法律を学んでこなかったのがダメなんじゃないかと感じたので、法科大学院に行ってきちんと学問としての法律を勉強しようと思いました。

そして法科大学院へ~そこで学んだこと

大阪市立大学法科大学院に入学
勉強の仕方は大きく変わり、目指す弁護士像も思い描けた

堀江 それで、2004年に大阪市立大学の法科大学院に入学されたんですね。それまで旧司法試験の勉強をされていたということで、法学既修者枠で入学されましたが、法科大学院に入学されてからの学習の内容や方法などで、それまでと大きく違った点はありましたでしょうか。
亀石 はい。まったく違うなと感じました。私はそれまで基本書(各科目の体系的な教科書)や判例集を読んだことがありませんでした。予備校がつくった重要箇所をピックアップしてまとめたテキストしか読んだことがなく、判決文の原文にあたったり、事案の事実関係から把握したりすることも経験がありませんでした。ですので、法科大学院に入ってはじめてきちんと勉強したという感じだったんです。法律学の研究をなさっている先生方の授業を受けて学ぶことは、興奮するくらいおもしろいものでした。
 私は、法科大学院に行くまでは、とくにどの科目が好きとか、どういう弁護士になりたいとか、弁護士になって何をやりたいというビジョンはまったくなくて、とにかくひたすら勉強だけをしていました。しかし、法科大学院で先生から授業を受けて、生きている法律を学び、そのことに対する興奮もあって、ここで学んだことが実務でどんな風に活きてくるのかがわかるようになり、ビジョンを持って勉強ができるようになりました。
とくに、浅田和茂先生の刑法や高見秀一先生(弁護士)の刑事訴訟法・刑事弁護実務の授業がとてもおもしろかったです。三島聡先生の刑法各論もあり、一気に刑事系の科目が好きになりました。とくに高見先生に出会ったことが大きかったです。高見先生は和歌山カレー事件の弁護団をつとめられましたが、この事件に対してどういうスピリットでやっているのかとか、この事件は報道されていること以外にもこういう事実があって、といった話を聞くと、1つの事件にまったく違う角度から光を当てられた感じがして、目から鱗が落ちるようだったのです。私は、報道を鵜呑みにしていたけれども、必ずしも報道どおりではないんだなということをそのときに気づかされ、そこから弁護士になって刑事弁護をやりたいと具体的に思うようになりました。それまでは、ただひたすら勉強をしていただけでしたが、目指す弁護士像みたいなものを思い描きながら勉強できるようになったのがとても良かったと思っています。

法的なものの考え方を、双方向式授業のなかで身につけることができた

堀江 法科大学院の授業のやり方は、一般には、教員が一方的に講義するのではなく、「双方向式」「ソクラティック・メソッド」、つまり学生と教員の間で問答を繰り返す形式だと思いますが、これについて何か印象をお持ちでしょうか。
亀石 双方向式授業の中で、たとえば、ある問題に対して私以外の学生がどういう風に考えているかとか、それに対する先生とのやり取りを聞いたりすることも、とても勉強になりました。以前の勉強は本当に表面的で、予備校ではこれが正解というのが一応与えられて、それを覚えるというようなかたちだったから、法的なものの考え方が深まっていかない感じがしていました。法律学では、1つのテーマに対していろんな考え方があるということはよくあって、何か唯一の正解があるというわけではない。大事なのは、どのような発想からそれぞれの考え方が出ていて、だけどこの発想の弱いところはどこで、それに対してこちらの発想はこうで、というようなことを理解することだと思います。授業での双方向のやりとりの中では、そういったことが自然と理解できていく。ですので、私は、法科大学院に行ってから、そういう法的なものの考え方というものが一気に身についていったと感じました。
堀江 双方向式は教員側も準備が大変なのですが、ましてや学生のみなさんはいろいろな科目の授業をそういう形式で受けるわけですから、予習などで苦労されたということもあったのではないですか。
亀石 たしかに、双方向式の授業についていくのは大変で、どうしても予習に手が回らないこともありました。それに、私は法学部出身ではなかったので、気後れする部分もありました。こんなこと言ったら馬鹿だと思われるんじゃないかとか考えてしまったり。でも、一生懸命予習して自分なりに考えて、それをみんなの前で勇気を出して発言する。そういうふうに、何とかついていこうと必死にやっていました。
堀江 1日にどれくらいの量の勉強をされていたのでしょうか。
亀石 法科大学院に入る前は、寝ているときとかご飯を食べたりお風呂に入っているとき以外は全部勉強するくらいの勢いでやっていたので、1日12時間くらい勉強していました。それに比べると、法科大学院に入ってからは、通学に小一時間かかったので、1日の勉強時間は入る前よりもむしろ減ったと思います。しかし、減りはしましたが、勉強の質が大きく変わりました。以前は暗記中心の表面的な勉強で、一通りの基礎的な知識を詰め込むという意味では、既修者コースでなんとかついていけるだけの準備はできていたと思いますが、法的なものの考え方とか、司法試験に合格するために必要なものを得ることができたのは、法科大学院に入ってからだと思います。

仲間と一緒に議論しながら勉強するスタイルは、
弁護士としての仕事のスタイルにもつながっている

堀江 学生同士で勉強会をするといったことは法科大学院時代にはありましたか。
亀石 当時の大阪市立大学法科大学院は、一学年70人くらいでした。その70人が1つの大きな自習室の中で、それぞれ机を与えられて勉強していました。少人数なのでみんな仲が良く、あちこちで3人、4人で集まって法律の議論をしているのが日常的でした。自分の机で勉強していても、そういう議論が聞こえてきて、興味があったら参加できる。そんな環境だったことも、とても良かったと思います。
とくに仲の良い8人で、『判例百選』(各法分野ごとに概ね100個の主要裁判例について概要と解説を掲載した判例集)に掲載されている裁判例を1つずつ検討していくというゼミをしていて、これはとても大変でしたが、自分にとって役に立ちました。たしか、週に1回2時間くらいで2つか3つの裁判例を検討する感じでした。担当になった人が判決文を読んでどういう事案だったのかを把握して、どういう事実がどういう風に評価されて、こういう規範が定立されているといったことを詳細に説明します。さらに、判例百選の解説にはこう書いてあるけれども、そこに引用されている文献も読んでみると、ちがう解釈もあり得る、というようなことも言ったりします。判例百選に掲載されている内容だけでは分量も少ないし、事案の概要もざっくりしているんですけど、そこからかなり掘り下げて丁寧に分析していきました。基本的には各担当者がそういった分析をしますが、それに対して私たちもいろいろと疑問を投げかけたり、ディスカッションしたりして、1つひとつの事案をじっくり分析していきました。その作業は司法試験の論文式試験にもすごく役に立ったし、弁護士になってからもとても役に立っています。ある事実がどう評価されてこういう結論に至っているというところをきちんとやっていたから、逆算して、じゃあこういう結論を得るためにはどういう事実を弁護側は立証しなければいけないのか考えるというふうに、現在弁護団で活動するときにも当時の経験が活きているのです。

教員との距離感は近く、今でもその関係は続いている

堀江 教員と学生との距離感はどのような感じでしたか。
亀石 学年70人が3つのクラスに分かれていたので、1クラスの人数も少なく、授業中の先生との距離感はとても近かったですし、授業が終わった後に先生に質問をしに行くこともよくありました。そこが、孤独に勉強していた旧司法試験受験時代との大きなちがいでした。自分が疑問に思い、それに対して欲しい答え以上の答えを先生からもらって、さらに理解が深まるという感じでした。そのときの経験はほんとうに今でも活きていて、事件で難題に直面すると、自分や弁護団メンバーの法科大学院時代の先生に聞きに行きます。そして、先生方のもとへ行くと、その分野だったら〇〇大学の〇〇先生、これは△△大学の△△先生がご専門と教えてもらって、まったく自分が学んでいない先生のところに相談しに行くというようなこともあるんです。

弁護士として自分らしく働く

一人の依頼者に向き合い、その人のために役に立つことができるのが、
弁護士の仕事の魅力

堀江 では、弁護士になられてからのことについてお尋ねします。まず、弁護士のお仕事全般について、日々、どのようなところにやりがいを見出していらっしゃいますか。
亀石 組織に馴染めなかったような私が、一人の依頼者に向かい合って、その人の役に立つことができるところですね。直感的に決めたわりには、自分の天職のような、本当に自分に合っている仕事を選べたと思っています。私、困っている人のためだったら頑張れると実感していて。それが民事であれ刑事であれ、共通のやりがいだと思います。

誰も理解しない、味方のいない人に寄り添い、
偏見や先入観を捨てて話を聴くことの先に新たな発見がある、
それが刑事弁護のやりがい

堀江 亀石さんはとくに刑事事件に熱心に取り組んでいらっしゃいますね。扱われた刑事事件の件数も、一般的な弁護士よりもかなり多いと思います。中でも平成29年3月に最高裁判決の出たGPS捜査の事件の弁護を担当されたことで有名ですが、そのように刑事事件を多く取り扱っていらっしゃる理由は、先ほどおっしゃったように法科大学院の授業で刑事系が好きになったということにあるのでしょうか。また、実際に刑事事件を担当して、他の事件と違ったやりがいや魅力などを感じていらっしゃるのでしょうか。
亀石 とくに刑事事件をやりたいのは、誰も理解してくれない、誰も味方がいない人に寄り添って働くというところに惹かれているからです。
 最初のきっかけは、先ほどもお話しした和歌山カレー事件に関する高見秀一先生のお話でした。私は、それまで自分はあまり偏見のない人間だと思っていました。しかし、法科大学院で高見先生に出会ったときにはじめて、逮捕された被疑者として報道される人に対してものすごく偏見や先入観を持っていたんだなと感じました。そして、そのような偏見や先入観を取っ払って被疑者の話を聞いたときに、驚くような新しいことを聞けたり、今まで気づけなかったことが聞けたりするという体験をしました。偏見を取り払った先に、今まで知らなかったことが発見できる、刑事事件のそういうところにやりがいを感じています。
 あとは、民事や家事とちがって、刑事事件では、相手方が国家権力なので、思う存分争うことができるところです。捜査機関と弁護人では、象とアリくらいの力の差がありますが、だからこそ思いっきり争うことができるんです。武器が少ないなかでも、その武器を駆使して戦いを挑むほうが自分の性に合っている感じなんです。

法科大学院で教員や仲間と活発にコミュニケーションをとり、
自由に考え、議論した経験が、
今の仕事のやり方に強く影響を与えている

堀江 先ほどのお話で、法科大学院時代の経験が今のお仕事でも活きているということでしたが、何か具体的なエピソードがあればお聞かせください。
亀石 法科大学院では、教員と学生、そして学生同士が活発にコミュニケーションをとりながら勉強していたので、今の仕事のなかで依頼者とコミュニケーションをとることも、そうした学習環境の延長線上にあるような気がしています。弁護士の中にはコミュニケーションをとることが苦手な人もいますが、ロースクール世代の人たちには、コミュニケーションをとるのが得意な人や苦にならない人が多いように思います。
 法科大学院では、日々勉強するなかで、いろいろな意見を出し合ったり、ゼミをしながらアイディアを出し、新しい発想や解釈はできないかといった自由な議論をしてきました。その経験が、とくに弁護団で取り組む事件で活きています。
私がこれまでに担当したクラブの風営法違反事件やGPS事件、現在担当している彫り師の医師法違反事件は、いずれも法科大学院出身の若手の弁護士たちと一緒に取り組んできたのですが、お互いにさまざまな意見を出し合い、たとえば、既存の評価を乗り越えるためにどのような事実があればよいだろうか、その事実を立証するためにどのような方法があるのか、といったことを弁護団の中で活発に議論します。彫り師の医師法違反事件は、一審では有罪判決を受けましたが、これから控訴審でどのようなことができるのかを、たとえば、アメリカ・イギリス・フランスなどいろいろな国の弁護士や学者たちに、その国の医師法がどうなっていてタトゥーにどのような規制がされているのかといった調査を依頼するなどして、検討しています。既存の枠組みにとらわれないで、さまざまな新しいアイディアを出し合って、実際に自分たちで動くことが大切だと思います。
 揺さぶられっ子症候群で亡くなったとされる乳児の傷害致死事件を担当したときには、大阪市大医学部図書館に行って医学文献をたくさん読むなど、ロースクール時代の勉強の続きみたいな感じがありました。また、法科大学院で教わった先生方に協力を求めたりもしました。意見書を書いていただくまではいかなくても、たとえば、浅田和茂先生を訪ねて、「違法性阻却のこと、また一から教えてください」とか、「本件に関して違法性阻却を立証するためにはどのようにお考えになりますか?」、「私たちはこんな風に考えているのですが間違っていますか?」などと伺いに行きました。

法科大学院や学生のみなさんに伝えたいこと

過剰なサービスの提供ではなく、
本当に法的なものの考え方が身につくような教育こそが、
法科大学院には求められている

堀江 それでは、最後に2つメッセージをお願いします。まず、ご自身のご経験を踏まえて、これからの法曹養成教育全般、あるいはその中でも特に法科大学院に対して求めるものをお聞かせください。
亀石 ある法科大学院の教員の方から、「だんだん法科大学院の人気が下がってきているから、学生に対して手厚いサービスを提供しなければいけないという要請もあって、たとえば、判例についてのレジュメには、しっかりと判旨や重要箇所をピックアップしておき、一から判例検索して全文を読むというような手間を学生にかけさせてはいけない。」という話を聞いたことがあるんですよ。
 しかし、それが本当に法科大学院教育に求められていることなのだろうかと私は疑問に思います。たぶん手間をかけるのが勉強で、私はそういう手間をかけて勉強するというところから大事なことを学んだと思うんです。法科大学院にとっては司法試験に受からせることが一番大事なのでしょうが、教員の方々は、学生へのサービスのためにこういうことをしてあげたほうがよいという発想ではなく、本当に法的なものの考え方が学生に身に付いて、それが法律家になってからも役立つことを目指して教育をしていかなければいけないのではないかと、そのお話を聞いたときに思いました。
 おそらくその方もジレンマがあって、そうするべきだと思っているんだけども、他方で手厚いサービスの要請があるなかで、悩んでいらっしゃる感じでした。私がいた大阪市立大学法科大学院では、そこまでのサービスは提供されていませんでした。ですから、みんな自発的に勉強していました。
 しかし、今の学生には、勉強の仕方が分からない人もいるんでしょうかね。

手間をかけて自分で調べ、考えてみるのが勉強

堀江 学生に手間をかけさせないために教員側で用意するというのがどの程度のことなのかにもよると思いますが、いわゆるケースブック(主要な裁判例の事案や判旨を編集して問いを付けた教材)の類は、以前から多くの法科大学院の授業で使っているのではないでしょうか。
亀石 ケースブックは使っていると思います。たとえばケースブックに、参考判例としてピックアップされていて、判決の年月日が書いてあるものがあるじゃないですか。先ほどの話は、その参考判例の概要まで書いてあげないといけない、というような話だったと思います。
堀江 なるほど、そういうことですか。そうすると、もう自分で調べようとはしなくなる可能性がありますね。
亀石 ですから、テキストにすべてを書いてあげるのではなく、学生がテキストで学んだことを更に深掘りして勉強しようと思ったときに、自分自身で検索して調べる、教科書に何かの文献の「何頁参照」などと書いてあったら、自分で図書館に行ってその文献を探して調べるということも必要だと思うんです。

少し型から外れていたって大丈夫!
自分らしく仕事ができるのが弁護士の魅力

堀江 これから法律家を目指す人たち、法律の仕事に興味をもっている人たちに対するメッセージをお願いします。
亀石 私は、会社員もうまくやれなかったし、コンビニのバイトの面接も落ちてしまうような、社会不適合で駄目な人間だとずっと思っていました。そのような私が、今は弁護士として、やりがいを感じながら仕事をしています。
 私は文学部の出身で、普通だったら人が立ち止まって考えないようなところで、ずっと自分の中で答えが見つかるまでそこから動けないようなところがある性格なのですが、今の弁護士の仕事では、そのような性格が、他の人とは違うところに気づくことができることにつながっているかもしれません。たとえば、GPS捜査事件のことも、初めて接見した日に被疑者の男性から打ち明けられたのですが、普通だったらスルーしてしまうようなところで、それはおかしいんじゃないかと立ち止まって考えることができた。ずっと法律を勉強してきた人ではない人が持っている背景が、弁護士の仕事では独自性として活きてくることもあると思います。ですから、法学部ではなかった人にもっと門戸を広げる法科大学院があって欲しいですし、法学部出身でない人たちにもっと弁護士を目指して欲しいと思います。ステレオタイプな弁護士ではなく、少し型からは外れていたとしても、何かその人ならではの仕事ができるのが弁護士の魅力だろうと思っています。弁護士というのは、その人のキャラクターによるところが大きいですので、多様な生き方をしてきた人が入ってきた方がおもしろくなるし、その人ならではの、その人らしいやり方で仕事をすることができると思います。
 また、私のように組織に馴染めなかった人でも、弁護士という職業は、やりがいをもって働くことができます。私は、6年間、大阪パブリック法律事務所というところに勤めたあと、独立して事務所を立ち上げてから2年が経ちました。自分で弁護士事務所を経営するのはとても大変なのですが、独立してからますます仕事にやりがいを感じています。弁護士というのは、本当に自由に、自分らしく働くことができる職業だと実感しています。ですので、今の仕事がとても気に入っています。
堀江 今日は貴重なお話をありがとうございました。
亀石 こちらこそありがとうございました。

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